おいもの里の村長日記

京都府南丹市でおいも栽培に務める若手農家の日記

僕が転職先に協力隊を選んだ理由。

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昨日の記事では、地域おこし協力隊とはなんぞやという話を書きましたが、今日は僕がなぜ転職先に協力隊を選んだのかを話そうと思います。

 

 

よく聞かれるこの疑問に対し、僕はいつもプラス思考な答えで返していると思います。

 

でも、もっともっと突き詰めると、実は、僕には隠された思いがあるのです。

普段の受け答えでは決して言えない、ここだけの話を昔話を交えながら語りたいと思います。

※普段皆様に話していることが9割方の本心、これから書く理由が1割方くらいに捉えてください!

 

今日の記事はほとんど自分語りです!教養は身に付かないので飛ばしてOK!

 

1.社会に出て気づいたこと

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福島県の一風景

僕は、関西学院大学文学部を卒業しました。

就活も人より頑張った自負があります。(特に公務員試験勉強)

結果的には悩んだ末に公務員の内定を蹴り飛ばし、民間企業に行くことになりました。

 

しかし、世の中上手くはいかないものです(笑)

僕は就職先の会社で失敗続き、先輩からは目を付けられるしで、最初の半年間は本当にグダグダでした。

上昇意識の強い会社であった故に、僕はとても付いていけなかったのです。

 

出世するには努力をするしかないし、それを見せることも大切です。

努力を見せるということは社会において、決して悪いことではないと思っています。ある意味、それが上司や後輩、敷いては会社への礼儀ともいえるからです。

しかし、僕は人前で努力を見せることがめちゃくちゃ嫌い。

 

見え方が非常に悪いやつだったんですね(笑)

そりゃあ嫌われもするわな。

 

仕事をあまり与えられない時期もあり、取りにもいかない。

怒られることにも、そっぽ向かれることにも慣れてしまい、一人黙々と農業についての本をあさる日々でした。

(正直、こういう日々のおかげで多少なりとも知識ついた感じはあります)

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前職の時に読んでいた本達

 

結果的に、僕は会社のスピード感についていけなくなったのはもちろんのこと、上司との対立が決定的となり、退職を決意しました。

 

退職を上司に告げたその日から、心にぽっかりと穴が空きましたね。

それまで、浪人も留年も落第もせず、人生を普通の速度で歩いてきましたから。そりゃショックが大きかったですよ。

 

「あぁ、ドロップアウトしてしまったなぁ。」

 

はい、世の中の転職組には本当に失礼な感想だと思います。

でも、当時の僕は新卒で入った会社はずっと務めるもんだと本気で信じてたものですから。

 

会社のことは嫌いではなかったです。

ただただ、自分の性格と合っておらず、また、圧倒的な力不足が原因でした。僕と時期を同じくして入った新入社員が活躍しているので、そうだと思います。

 

社会に出て、1年半会社に勤めて気づいたこと。

それは、「自分の無力さ」でした。

 

2.リスクとの対話、安心感との決別

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現実逃避で海を3時間見つめた時も。

それでも、すぐに就職活動は始めなければなりませんでした。

多忙な仕事の合間を縫って、就職情報の収集を始めたのは、退職を上司に言い出す1ヶ月くらい前から。

 

選ばなければ、どのような仕事でもある現代の世の中。しかし、僕は選ぶ必要があったのです。

なにせ、結婚を固く決めている彼女の存在があったからです。

 

「安定していて、残業もほとんどなく、順当に給料の上がる会社。」

 

そんな我儘な求人を探していました(笑)

あったんですけどね。

 

名前は明かすことができませんが、いわゆる学校法人の事務職員というやつです。テストなんかもあるようだったのですが、公務員試験をパスしている僕はブランクがあるとはいえ、自信がありました。

 

でもすごく違和感があったんですよね。

 

「あれ?じゃあ僕が新卒で入った会社の1年半って無駄だったのかな。」

そうなのです。

学校の事務職員に転職するくらいなら、元々公務員になっておけばよかったのです。バカだなぁ。

 

泣きたくなりましたね。

気づかなくていいことを気づいてしまうくらいには頭が良いのに、会社でうまくやっていく分の頭はないってね。

究極の天才か究極のアホかに生まれていれば人生幸せなんでしょうね。

 

上司に退職を告げて尚、次の就職先候補は見つかりませんでした。

そして出会ったのが地域おこし協力隊だったのです。

 

「3年後、無職になるというリスクはある。でも、君ならもしくは・・・。」

 

とある自治体(南丹市ではない)の職員さんから、資料を手渡されたのです。

A4判の封筒を開けてみると、ホッチキス止めされた資料の表紙には、「地域おこし協力隊」という文字が書かれてありました。

 

僕が地域おこし協力隊という概念に出会った瞬間でした。

 

「3年後に起業するだとか、自分で稼ぐだとか、地域創生の担い手になるだとか、そこまでの上昇意識ないですよ。」

あったら会社でうまくいってるでしょうね。

でも、その職員さんはわかった上で勧めてきたのです。

 

「わかってるよ。だからこそじゃないか。」

 

JOIN(地域おこし協力隊の窓口サイト)に登録するのは、それから少し経ってからでした。

 

さすがに20数年間持ってきた安心感と決別するには時間がかかります。

しかし、ここに来て僕はリスクと対話を始めたのです。

 

彼女にも親にも相談し、自分の中で30歳まではリスクを背負って生きていくという落とし前を付けて、JOINに検索をかけていきました。

 

そして出会ったのが南丹市だったのです。

(なぜ南丹市だったのかはまたの機会に。)

 

3.ここだけの話

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僕は今、南丹市に来てから3ヶ月が経とうとしています。

会社員の時ではできなかった、自分で考えて仕事を作り、自由に足を動かして情報を取りに行くという本来やりたかったことが出来ています。

そして、いつからか新聞に載るくらい、注目されるようになりました。

 

しかし、僕は上記の通り、本来新聞に載るほどすごい人間ではありません。

 

ここだけの話。

もう既に3年後のことを想像してビクビクしてるし、夢にさえ出てくるほど小心者です(笑)

 

今の仕事がめちゃくちゃ楽しいと思えるからこそ、尚更です。

そして、今のこの楽しい状況を作ってくれた、南丹市というフィールドに早くも愛着を持ち始めています。

 

「あぁ~3年後もここで働きてぇなぁ!」

まだ全然成功してなくて、どっちかと言えば逆境の中にいるのに、おめでたい頭をしていますね。

 

4.目標があります

夢は「いい家族をつくること」ですが、それとは別に僕には目標があります。

本当は「地域おこし協力隊としての吉田宙斗」として、書くべきなのでしょうが、あえて一個人としての目標を語らせていただきます。

 

僕には親友がいます。

僕が唯一背中を預けられる親友がいます。

 

高校生からの友人で、度々今の僕の仕事に対しても、優しくアドバイスをくれるようなやつです。

 

聖母のように優しいくせに、言う時は言うし、やる時はやる。

頭もキレますし、なんで僕と友人なのか謎(笑)

 

僕はいつか、その親友の隣に立って、一緒に仕事がしたいと思っています。

どういう形であっても。

 

10年先か20年先かはわかりません。

しかし、出来る親友の隣に立って、恥ずかしくないような男になれるよう、日々精進していきたいと思っています!