吉田のボランティアしてた頃のこと(2回目)
続くの!?
はい、続きます。
前回の記事では書ききれなかったぶっちゃけ部分も全部書きます。
昨日の記事に書いた通り、僕の今ある生き方はボランティアを通して確立されたものもありますが、そのほとんどはやっている最中ではなく、辞める時の心の変化にありました。
今日はそんな僕がボランティアを辞める前後のことについてお話します。
(今日ちょっと過激です。)
1.自分のしていることが正しいと感じなくなった。
まずはなんと言ってもこれですね。
ボランティアと言って被災地を実際に訪れ、色んなことをしました。イベント開いたり、ツアー組んだりと色々。
でも、それが本当に正しいのかどうかわからなくなったんですよね。
と言うよりかは、本当に役立てているのか、不安になったんです。
当時の僕としては、自分の行動に疑問を抱くなんてことは中々なかったので、新鮮な感覚でした。
高校三年生の時、ボランティア団体に入って、割と大きなイベントをしました。
その時、僕は誰もやりたがらなかった補助金を担当してたんですよね。
(僕もやりたくなかった。)
誰かがやるしかなかったからという理由で流れのままやっていったのですが、高校生の頭では補助金のことなんて理解しきれるはずがないんですよ。
県庁の方から結構叱られまくってました。
で、イベントが丁度3月。卒業シーズンだったんですよね。
以下、愚痴と恨みつらみ。
団体にて中心にやっていた仲間達はイベント間近で忙しいのにも関わらず、卒業旅行とか行きだすの。
自分の忙しさをアピールするわけじゃないですけど、さすがに苛立ちを隠せませんでした。
っというより、仲間達のボランティアに対する認識を疑ってしまったんですよね。
4月、大学生になってみんながボランティアを辞め、新しい道に進む中、未だに補助金の後始末をしていました。
領収書をくれと言っても新たな生活に踏み出している仲間達はなにも協力してくれず、申請するときは難航を極めました・・・。
大学に入ってボランティアを辞めずに続けていたのって、半ばこういうことがあったからこその意地であった気がします(笑)
イベントも失敗に終わり、不完全燃焼。
大学に入ってなぁなぁで続けていた活動にも疑問ばかり抱く毎日でした。
こういう経験から、自信しかなかった自分とは一切おさらばし、基本的に「自分は間違っているかもしれない。」と考える根暗なやつになってしまったのです。
でも、これは良かったと思う。
あの当時のまま自信満々人間だと絶対今の仕事してませんからね(笑)
2.肌に合わなかった
あまりわからないかもしれませんが、この当時、学生ボランティアをしている人間って、本当に意識高い系が多かったんです。
団体間の交流とかも結構あったんですが、まじで肌に合わなさ過ぎて気持ち悪かった。
ボランティアをやる意義とか、つらつらと御託並べるけど、「被災地と被災者を助けたいから。」じゃダメなんでしょうか(笑)
それが本文だと思うんですよね。
こんな気味の悪いやつらとつるむくらいなら一人でやった方がましだなぁっと思って大学二年生の時に完全に辞めました。
この時から口だけ人間が本当に嫌いになりました。
3.野望がなくなった
ボランティアを辞めると、それまで立派な人間になってやろうとか、人の上にたってやろうとかという、人間なら誰しもが多少ある出世欲や野望というのが一切なくなってしまってました。
本当に気づいたら・・・っというような感じだったのですが。
世界を変えるとか、日本を変えるとか。
世界一とか日本一とか。
世界を守るとか日本を守るとか。
誰かの上に立ちたいだの、変なプライドだの。
そういうのいらないやってなりましたね(笑)
自分の手の届く範囲を守る力があればそれでいいと思えるようになりました。
この心境の変化が果たして良かったのかどうかはわかりません。実際この野望のなさのせいで前職を追い出されていますし。
でも、周りに流されぬ、そういう生き方にはなることができたような気がします。
4.特別な思い
あそこには、友と過ごした大切な思い出が詰まっているのです。
ボランティアをしていて、嫌な思いをしたことの方が多かったけど、少なくともあの街いは好きな人が多かったし、楽しい時間の方が多かった。
青春の場所なんですよね。
今でも実は定期的に訪れています(笑)
もう既にそこに住む友達は東京に行ったり、色んなところで活躍していて、石巻に残る人はほとんどいないですが。
まぁ、思い出に会いに行っているっという感じですね。
また、近々行きたいなぁって思っています。