吉田のボランティアしてた頃のこと
本日の記事は僕がボランティアをしていた頃のことについて。
自分語りです。
実は僕、自分がボランティア団体に入っていた経歴があり、実際に東日本大震災関連のボランティアをしていました。
自己紹介をすると時もあまり自慢げにこのことを言わないんですけどね。
実は、このボランティアをしていた経験が今の自分を作り出したと言っても過言ではないので、今日はそんなこんなを語らせていただきます。
1.ボランティア始めました
僕がボランティアを始めたのは高校生の頃でした。
事のきっかけは同じく吹奏楽部に所属していたNという友人とのお話がきっかけでした。
彼はほぼ潰れかけのボランティア委員会の委員長を任されて困った感じだったのを覚えています。
その彼からボランティアを一緒にしないかと誘われたんですよね。
「一緒にせぇへん?」とね。
っというわけで、敵を知らずしては何もできないので、親に旅費をせびって宮城県石巻市へ。まさか、その後10回以上も訪れるとは思ってなかったよ。
これが当時の写真。
「吉田今と変わってねーじゃん!」
「吉田、石仮面被った説」
「吉田、未だに高校生説」
思った方、正直に手を挙げなさい。今なら許してあげます。
この時は津波で被害を受けた牡蠣の養殖場を見に行ったころの写真ですね。
楽しそうでしょ?
いや、実はこの時僕含めて3人とも全然楽しくありませんでした。
なんせ、結構えげつない話とえげつない光景を見た後ですからね・・・。
まぁ、こう、なんでしょうか。
見た者として、これは何かしたいなぁと思うのが人間の良心というやつですよ。
2.今でも続く関係性
そんなこんなで高校二年生の時から大学二年生の頃まで4年間続けてきましたが、未だにボランティアしてた頃に出会った友達とはめちゃくちゃ仲良しです。
普通に今でも遊びに行ったり飲みに行ったりするレベル。
なんだかんだ言いつつ、青春を謳歌できたのはボランティアあってからこそだったとは思いますね。
3.じゃあなんで辞めたの?
この疑問にたどり着きますよね。
簡単に言うと、仲良くなったからですよ。
仲良くなったからこそ、ボランティアっていう枠組みなんて必要なくなったんです。
多分、ボランティア続けたまんまだったら、今みたいな関係性築けてたかなぁっと思いますね。
案外枠組みが人を繋げるときもあるし、人を引き裂くこともあるんです。
言ってる意味わかりますかねぇ・・・。
あんま理解されないのですが。
僕は結構肩書にとらわれるのが嫌なタイプでして。
ボランティアしてた当時からそうでした。
なんていうか、僕は石巻で出会った人と対等っていうか、壁のない関係で仲良くしたいのに、やっぱり関西から来たボランティアっていうフィルターが通っている感じがしたんですよね。
それがすげぇ嫌だったので、全部捨て去ったわけです。
この肩書嫌いは社会人になっても続いています(笑)
出世欲の無さは結構こっから来てるんじゃないかなぁって思いますね。
4.書きたいことまだあるのに。
明日に持ち越します!
まさかの自分語り2部構成!
明日の記事もお楽しみにね!