おいもの里の村長日記

京都府南丹市でおいも栽培に務める若手農家の日記

福島のことについて

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福島県楢葉町木戸川の上流

新年が近づいてきてまいりましたが、皆様はどうお過ごしでしょうか。

本日、今年中にやるべき圃場整備が終わり、ゆっくりとした日々を過ごす事ができています。

今日も昼までは圃場整備。昼からは舞鶴まで行って大好きなお魚を購入してきました。

牡蠣食べたいなぁ・・・。今が旬なんですよね。

 

まぁ、今日のブログは全然新年とか年末とか舞鶴とか関係ないんですけどね。

本日のお話はよく聞かれる福島のことです。

 

1.前職時代は福島にいました

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実は、僕は前職、福島で農業をしていました。農業といっても、会社員農家でしたが。一番下っ端だったので、よくコキを使われてましたねぇ~。

まぁ、それはどうでも良い話です。

それで、南丹市に来て、自己紹介してよく聞かれるのが今の福島ってどうなってるの?ってことなんですよね。

 

特に、新聞社の方からはめちゃくちゃ聞かれますね。某新聞社のMさんは僕へのインタビューよりもそっちを聞く方が多かったくらい(笑)

で、僕はいつも真っ先にこう答えるんですよ。

 

「全然大丈夫ですよ。ほら。」
(ここで両手を広げて自分の体を見せつける。)

 

どこに行っても、誰に聞かれても面白いくらいに放射能放射能と言われるんですよね。

ぶっちゃけ仕方ないことだとは思いますが、ここまで福島の現状が屈折されて関西に伝えられていたとは思ってもみなかったです。

 

2.原発のすぐ近くにいましたが?何か?

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僕が住み、働いてた場所が福島県楢葉町という場所です。実は、楢葉町原発がある浪江町のすぐ下に位置します。

つまり、すぐ近くにいたんですね。真上の大熊町は未だに避難解除出されてないからゴーストタウン状態だし。

マスメディア、特にテレビ局は毎年3月11日になると、元気が戻りつつある楢葉町とか富岡町とか映さずに、未だゴーストタウンで人の住んでない大熊町とか浪江町とかをクローズアップするんですから。

そりゃあ誤解も生まれるわな。

 

んで、原発のすぐ近くにいて放射能とか大丈夫なの?っていう話なのですが、この通り僕はぴんぴんしてます。

楢葉町の魚、楢葉町の米、楢葉町のお酒で五臓六腑を満たし、体を作り、そして畑で汗を流してもこの通り元気にやってます!

 

3.今、福島ってどんな感じなの?

そりゃもう、風評被害はすごいですね。

っていうか、福島の方が風評被害を助長しているような感じさえもあります。これはある程度仕方ないですね。

あと、ご年配の方の東電に対する恨みつらみもすごい。

 

でも、悪いイメージってこれくらい。

米は上手いし、酒は上手い。今、福島で農業を再開している農家さんなんて骨のある良い人しかいないし。

JAの方もすごく気さくに対応してくださいましたし、何よりも町役場の方がすごいやる気があった。

 

一番印象に残っているのは、一度、一時停止無視で警察に切符切られた時です。

パトカーの後部座席に初乗りしながら、色々書類書いてると、警官さんから

「こっちの訛りじゃないね。どこから。」

と一言。

僕は「兵庫県出身で、実家は神戸にあります。」と返しました。

 

すると、警察の方が目を丸くして驚くんですよ。

警察「えぇ!わざわざこんな原発原発だと言われている場所に関西から若者が!?」

僕「仕事ですからね~。」

警察「それでも有難い話です。こんな良いひとを今後切符切りたくないので、気を付けてくださいね。」

 

きっちり違反料金取られました。

っとまぁ、あっちの訛りは喧嘩売ってるみたいで怖かったですけど、中々人は良い場所いた。

 

4.何よりも皆さんに知ってほしいこと

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福島は安全です、福島の農作物を食べてください。

そう僕が言ったところで、何の意味もないことは重々承知です。

何が「安全」であるのかは機械がメーターによって数値という科学的な根拠を以って表しますが、何が「安心」であるのかは様々な人が各々で持つ、長さの違う物差しによって決められるからです。

 

なので、今、福島について、このブログを読んでくれている皆様に知ってほしいことは別のところにあります。

それは、今、福島で頑張っている方がいるということ。

 

前職時代、お世話になった町役場やJAの皆様。

なんとか、過ちを清算しようと、陰口叩かれながら地域住民と頑張る東電の皆様。

木戸川にまたあの日のように大漁の鮭が戻ってくることを祈る漁協の組合長。

いつも優しく機械を貸してくれた協力農家の皆さん。

そして、僕が退職しようとした時、そして退職した日も温かく迎え入れてくれた飲み屋、「結のはじまり」の女将さん。

 

僕が退職して、もう半年近くになりますが、未だにあの地で頑張っている人がいます。

僕はあくまでも志半ばで関西に戻ってきましたが、今でもあの街の未来を信じて進もうとする雄志があります。

メディアでは取り上げられることのない、本当の楢葉町の姿がこれなのです。